紀三井寺の歴史

紀三井寺三井水

 紀州にある、三つの井戸のあるお寺。紀三井寺は、三井水を抜きにして語れません。千二百年来の寺名の由来ともなった三井水は、今も名草山の懐に抱かれ、滾々と絶えることなく湧き出しています。この由緒ある紀三井寺三井水(北より吉祥水・清浄水・楊柳水)は、昭和60年、環境庁が発表した「名水百選」に選ばれています。

 開山為光上人が寺を開いて間もなく、大般若経六百巻を写経し終った時、上人の前に竜宮の乙姫が現れ、上人に竜宮での説法を乞うて中ノ瀧 清浄水に没したとある。
 「紀伊国名迹志」
「紀伊国名所図絵」「紀伊続風土記」等にも三井水について詳細に述べられており、また紀州初代藩主徳川頼宣公が慶安三年(一六五〇)三井水を整備されたことが知られている。
 わけても中央清浄水は、古来名泉中の名水として、茶の湯、お華の水、墨の水に又酒、味噌、醤油等の醸造家はひそかにこの霊水を汲みて仕込みに混じ、観音様のご冥護を祈念して来たと伝えられる。


 

 清  浄  水
清浄水  紀三井寺の山門をくぐって最初の石段を昇ると、右手の木立の中に音を立てて流れ落ちる小滝があります。
 これが紀三井寺の名の起こりである三井水の一つ「清浄水」の湧水です。
 その昔、開山為光上人が紀三井寺開創の頃、上人の前に忽然として出現した美女が、身を投じて龍に化身したと伝えられるのがこの清浄水の井水です。

 大正十一年、昭和天皇陛下が皇太子殿下のみぎり、当地に行啓された時、紀三井寺の清浄水が非常に良いということで、わざわざ和歌浦の御宿舎までこの水を運んで調理その他の用水に供されたことは、当時の人々の誇りとして、今尚諸人の記憶に新たなる所です。


 この清浄水の周辺には、松尾芭蕉の句碑と、それを囲む様に後代紀州の俳人達の句碑が建てられ、まるで円座になって静かに滝音に耳を傾けているかの様です。


 吉  祥  水
吉祥水  「吉祥水」は昭和初期、附近に土砂崩壊が起り、その後も相次ぐ崩壊により水筋も変り、水桶等施設も理没して荒廃し、境界も定かならぬ有様となりました。
 その後幾度となく復旧の話も出て種々努力もなされましたが、機縁熟さず、立ち消えとなりました。
 しかし近年地元三葛地区の人々を始め有志により、先祖以来子供の頃から「瀧のぼりの清水」として親しまれてきた吉祥水を後世に残そうと保存会が設立され、環境整備が進み吉祥天女石像も造られて、後に落慶法要を迎える運びとなりました。

 楊  柳  水
楊柳水  この水を飲む人々を病から救って下さるというありがたい水として喜ばれてきた南の滝・楊柳水ですが以前は、木々の間に埋もれ、覆屋の白壁は落ち、井戸は泥で濁って、見るも無惨な有様でした。
 一足先に復興された吉祥水や紀三井寺の三井水が、環境庁より日本の名水百選に認定されたのを期に、楊柳水の整備の気運が高まり、かねてより護持の意向を示しておられた、市内和歌浦・木下建設株式会社の木下治郎社長の手により昭和六十年に短期間の内に整備工事が進められ、復興されました。

 

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