紀三井寺の仏像 Buddhist statue
紀三井寺は、今からおよそ1250年前の西暦770年(宝亀元年)、唐僧・為光上人の開基になる南海道の霊刹です。境内には多くの文化財、宝物が伝来しています。この内、国指定重要文化財は8件です。建造物が3棟、そして5体の仏像です。古来、本堂に安置されて来た5体の重文仏像は現在、火災・震災等の災害時に備えて、本堂真奥の収蔵庫・大光明殿にすべて安置されています。
5体の内、中央の2体は50年毎に一度開扉されるならわしの秘仏、御本尊・十一面観音像と、並び立つ千手観音様です。両脇には梵天、帝釈天の2体が秘仏2体を守って侍します。秘仏本尊のお前立ちであったと目される十一面観音像が右端で優しく微笑み、左端には、無指定ながら平安仏の毘沙門天がにらみをきかせて邪鬼を踏みしめています。これら文化財は、時を越えて、「祈る心」を我々に語りかけます。
十一面観世音菩薩 (国指定重要文化財)
十~十一世紀頃の作。檜あるいは榧の木の一木彫です。(秘仏本尊のお前立ちとの説もあります)こぢんまりした御頭部、なで肩の上半身に比して、下半身は横幅と厚みを有して量感を示します。右足を曲げて衆生済度の姿勢をとり、右手親指を手の平に折り込んだ施無畏の印相と共に観音の慈悲心を表しています。
長い円弧の眉、通った鼻筋、口元の微笑み。簡素で鄙びた作風の中に、親しみを感じ得る逸像です。
秘仏本尊
十一面観世音菩薩立像
(国指定重要文化財)
秘龕仏
千手観世音菩薩立像
(国指定重要文化財)
50年に一度開扉される御本尊です。
樟の一木彫りで、素地仕上げ。どっしりとした重厚感のある体躯。大きな御頭部に配された目鼻立ちや口唇も太造りで、万全の救済力と包容力を全身にみなぎらせています。
紀三井寺のご本尊様は「荒仏」と伝えられ、慈悲の心で、拝する本人が耐え得る試練を科し、心を磨くことをお教え下さります。
伝開山・為光上人御手彫。十世紀初期の作風で台座も同年代とされています。
御本尊様と同じく、50年に一度開扉される御秘仏です。
樟の一木彫りで、素地仕上げ。通形の42本脇手に加えて、薄板製の小手970本を配した真数千手観音像で、作例は決して多くありません。
強い山形の眉線、眼球のふくらみや上唇の厚みなど、異形といっても良い個性的な顔容を有します。
十世紀後半~十一世紀の作風で、台座は本尊以外の三像と同じく後代になります。
秘仏本尊
十一面観世音菩薩立像
(国指定重要文化財)
50年に一度開扉される御本尊です。
樟の一木彫りで、素地仕上げ。どっしりとした重厚感のある体躯。大きな御頭部に配された目鼻立ちや口唇も太造りで、万全の救済力と包容力を全身にみなぎらせています。
紀三井寺のご本尊様は「荒仏」と伝えられ、慈悲の心で、拝する本人が耐え得る試練を科し、心を磨くことをお教え下さります。
伝開山・為光上人御手彫。十世紀初期の作風で台座も同年代とされています。
秘龕仏
千手観世音菩薩立像
(国指定重要文化財)
御本尊様と同じく、50年に一度開扉される御秘仏です。
樟の一木彫りで、素地仕上げ。通形の42本脇手に加えて、薄板製の小手970本を配した真数千手観音像で、作例は決して多くありません。
強い山形の眉線、眼球のふくらみや上唇の厚みなど、異形といっても良い個性的な顔容を有します。
十世紀後半~十一世紀の作風で、台座は本尊以外の三像と同じく後代になります。
梵天立像 (国指定重要文化財)
十~十一世紀頃の作。樟の一本彫。帝釈天像と一対で、秘仏本尊の脇士として伝えられますが、像容は天部というより菩薩像の体裁を有しています。
又、彫りが浅く、彩色があまり残っていないことや円筒形の宝冠を被っていることなどから、帝釈天と同じ作者が一対として作像したとは考えにくいです。
顔容は、厳しさの中に優しさを秘めた父親的な雰囲気をかもしています。
帝釈天立像 (国指定重要文化財)
十~十一世紀頃の作。
檜の一木彫。梵天像と一対で、秘仏本尊の脇士として伝えられますが、彫りが深く彩色は鮮やかに残っているなど、像容は異なります。
裳に散らされた青、緑、赤、白の四弁の大型団花文や、髪際の髪筋の墨線などにも優秀な仏師の巧みの技を見ることが出来ます。
男性的な梵天に比して、全てを包み込む母親的な包容力を示します。
毘沙門天立像
十一~十二世紀の作。
後ろの衣の裳裾には、美しい渦文が見られます。
顔の表情には気迫がこもり、指定文化財ではないですが、平安時代の秀作といえます。
足元に踏みしめられる天の邪鬼は、江戸時代に改修されたものとみられています。